院長ブログ

【7月日帰り4回旅・第4弾】普通の長崎観光のはずが、市電全線完乗へ!~ちゃんぽん、坂の街、祈りの歴史、そして空港寿司~

[ 公開日: 2026/7/30 ]

✈️ 羽田から長崎へ

みなさん、こんにちは。旅する耳鼻科医です😊

7月30日木曜日。「7月日帰り4回旅」も、いよいよ最終回です。

松山、帯広、南紀白浜に続く第4弾は、長崎。

南紀白浜から2週間空いたので、私の感覚では久しぶりの旅行です(笑)。

この日は、羽田空港7時30分発のJAL605便で長崎空港へ向かいました。

長崎市を訪れるのは、小学生のときの家族旅行と高校の修学旅行以来です。
長崎県には2024年12月に佐世保を日帰りで訪れていますが、長崎市を一人で巡るのは今回が初めてです。長崎空港を利用するのも初めてです。

座席は普通席最前列15Kで、隣の席も空いていました。

朝から少し得をした気分です(笑)。

搭乗機へ向かう途中、操縦席の窓が開いていることに気づきました。

そこから顔を出していたのは、二人のパイロットです。

搭乗していく乗客に向かって、二人ともずっと手を振り続けていました。

一人だけではなく、二人そろってです。

夏休み中で子ども連れの乗客が多かったこともあり、子どもたちを意識したサービスだったのかもしれません。

しかし、大人が見ても十分に楽しい光景でした。

さらに機内アナウンスでは、操縦席の窓の開け方や、航空機のワイパーについても紹介されました。

小さな航空教室のような演出です。

私は航空機の型番や細かな部品に詳しいわけではありませんが、こうした人のサービスや、運航現場の空気には目が向きます。

決められた仕事をこなすだけではなく、乗客の旅を少し楽しくしようとする。

その気持ちは、開いた窓から手を振る姿だけでも十分に伝わってきました。

そしてJAL605便は、長崎空港へ到着。

ここから、一人で巡る長崎の一日が始まります。

機内からの大村湾

 

🏝️ 長崎最初の目的地、出島へ

長崎空港から9時35分発の空港リムジンバスに乗り、新地中華街へ向かいました。

この日の昼食は、長崎新地中華街の江山楼です。

11時10分ごろに江山楼へ着けるよう、それまでの時間を使って、近くにある出島を見学することにしました。

出島は、江戸時代に造られた扇形の人工島です。

はじめはポルトガル人を収容するために造られ、その後はオランダ商館が置かれ、西欧との貿易や情報交流の窓口となりました。

現在は周辺の埋め立てによって、四方を海に囲まれた島ではなくなっています。ただし、表門橋の周辺には水辺が残り、橋を渡って出島へ入る形になっています。

橋を渡ると、商館員の住居や倉庫、料理部屋、日本側の管理施設などが復元されていました。

出島は単なる外国人居住区ではありません。

商館、倉庫、宿舎、迎賓施設、日本側の役所など、国際貿易に必要な機能を小さな人工島へ集めた、一つの町のような場所でした。

中でも中心的な建物が、カピタン部屋です。

「部屋」という名前ですが、一室ではありません。オランダ商館長の住居であり、商館の事務所であり、日本側の役人や賓客をもてなす迎賓施設でもあった、大きな建物です。

出島における「カピタン」とは、オランダ商館の最高責任者である商館長のことです。

呼び名は、ポルトガル語の「カピタン」に由来します。英語でいうキャプテンに近い言葉です。

建物の中で印象的だったのは、日本と西洋の文化が混ざり合っていることでした。

畳敷きの部屋に、障子や床の間。

その一方で、天井にはシャンデリアが下がり、洋風の椅子やテーブル、絨毯、西洋食器が並んでいます。

純粋な日本家屋でも、純粋な洋館でもありません。

日本の建物の中に、西洋式の暮らしや接客の方法が組み込まれています。

さらに、クリスマスの食事を再現した宴席もありました。

食卓には鶏の丸焼きが置かれる一方で、鯛の尾頭付きも並んでいます。

西洋の祝いの食卓に、日本のめでたい料理が加わっている。

建物だけでなく、食事の内容まで和洋折衷です。

出島では、日本と西洋の文化が単に隣り合っていたのではなく、実際の暮らしの中で混ざり合い、新しい形へ変わっていたことが伝わってきました。

展示の中で、医師として特に興味深かったのが、蘭学や西洋医学に関する資料です。

江戸時代、西洋の医学や科学は、主にオランダ語を通じて日本へ伝えられました。

現在、私たちは日本語で医学を学び、日本語で患者さんへ説明できます。

その背景には、オランダ語の医学書を読み解き、未知の知識を日本語へ置き換えてきた先人たちの努力があります。

出島は、海外との接触を厳しく管理する場所である一方、新しい物資や情報、医学や科学を取り入れるための接続点でもありました。

解体新書

一通り見学したところで、江山楼へ向かう時間です。

出島を出て、新地中華街へ歩きます。

 

🍜 江山楼で特上ちゃんぽん

出島を見学したあとは、長崎新地中華街の江山楼へ向かいました。

到着したのは11時15分ごろです。

少し早めに着いて、開店前から並ぶつもりでした。ところが、店はすでに営業していました。

江山楼は11時以降、準備が整い次第、営業を始めるようです。

店内にはまだかなり余裕があり、待つことなく着席できました。その後、11時30分を過ぎるころには次々と客が入り、徐々ににぎやかになっていきます。

開店を待つつもりで早めに来た結果、最も空いている時間に入れました。

予定が狂いました。良い方向に(笑)。

注文したのは、特上ちゃんぽんです。

せっかく長崎まで来たので、ここは迷いません。

運ばれてきたちゃんぽんには、野菜、豚肉、海老、かまぼこなどの具材に加え、フカヒレやホタテも入っています。

白濁したスープはまろやかでコクがあり、野菜や魚介の旨みがよく溶け込んでいました。

飲み物には青島ビールを注文しました。

暑い日の昼、長崎新地中華街でちゃんぽんと青島ビール。

よく合います。

さらに、東坡肉も追加しました。

甘辛く煮込まれた豚の角煮を、白い蒸しパンに挟んで食べます。

濃厚な角煮を、ふかふかの蒸しパンがほどよく受け止めてくれます。

特上ちゃんぽん、青島ビール、東坡肉。

昼から、かなりしっかり食べました(笑)。

長崎まで来て看板料理を控えめにする理由はありません。

食事を終えたのは11時50分。

開店待ちに使うつもりだった時間が、そのまま午後の観光時間へ変わりました。

次は市電に乗り、グラバー園へ向かいます。

 

🛗 グラバースカイロードで、グラバー園を上から巡る

一般的には「大浦天主堂」電停で降り、坂道を上ってグラバー園の正門へ向かいます。

しかし、この日は真夏の長崎。特上ちゃんぽんと東坡肉を食べた直後でもあります。

そこで一つ先の終点「石橋」まで乗り、グラバースカイロードを利用することにしました。

石橋電停から住宅地を数分歩くと、斜面に沿って伸びるグラバースカイロードがあります。

これは、急斜面を斜めに上る無料のエレベーターです。観光施設というより、斜面地で暮らす地域住民の移動を支える生活設備として整備されています。

斜行エレベーターを降りたあと、さらに無料の垂直エレベーターへ乗り継ぎます。

この二つを使うと、石橋電停からグラバー園の高台側にある第2ゲート付近まで、急な坂道をほとんど上らずに到達できます。

正門から入れば、園内を坂に沿って上っていかなければなりません。第2ゲートから入れば、反対に高い場所から下りながら見学できます。

長崎の坂には、長崎の機械で対抗する。

特に暑い季節には、かなり有効なルートです。

第2ゲートから入ると、最初に旧三菱第2ドックハウスがあります。

2階のベランダからは、長崎港を一望できました。この日は港に大型クルーズ船が停泊し、対岸には造船所が見えました。

グラバー園には、旧ウォーカー住宅、旧リンガー住宅など、長崎各地に残されていた洋風建築も移築されています。

小学生の家族旅行と高校の修学旅行でも訪れているため、複数の建物が集められた歴史公園であることは知っていました。

それでも、改めて歩いて印象に残ったのは、洋館の向こうに長崎港が見えることです。

外国人商人にとって、この高台は単に眺めのよい住宅地ではありません。船の入港や造船所の動き、人や物資の流れを身近に感じられる場所でもあったのでしょう。

旧スチイル記念学校では、グラバーの息子、倉場富三郎が残した魚類図譜も展示されていました。

長崎近海の魚を、形や色、鱗、ヒレまで精密に描いた科学資料です。

Screenshot

父トーマス・グラバーは、貿易や造船を通して長崎の産業に関わり、息子の富三郎は長崎の海と生物を記録しました。

父は港を動かし、息子は海を記録した。

親子二代にわたる長崎との結びつきが感じられます。

園内を下りながら、最後は旧グラバー住宅へ。

日本瓦の屋根、西洋風の柱やアーチ、広いベランダを備えた和洋折衷の住宅です。そこからも、長崎港を見渡すことができました。

石橋から二つのエレベーターを乗り継ぎ、第2ゲートから入園。そのまま港を眺めながら、正門方向へ下っていく。

歴史はじっくり見ながら、坂道はできるだけ省略する。

真夏のグラバー園には、とても合理的な回り方でした。

 

⛪ 国宝・大浦天主堂 守り継がれた信仰

グラバー園を正門側から出ると、大浦天主堂はすぐ近くです。

坂道の上に建つ白い教会で、正面には日本語で「天主堂」と掲げられています。

大浦天主堂は、現存する国内最古の教会堂であり、国宝です。

正式名称は「日本二十六聖殉教者天主堂」。

1597年に長崎の西坂で処刑された二十六人の殉教者へ捧げられた教会です。

しかし、大浦天主堂で最も印象的なのは、建物の美しさや国宝としての価値だけではありません。

1865年、浦上から来た潜伏キリシタンたちがこの教会を訪れ、自分たちも同じ信仰を持っていることをプティジャン神父へ告げました。

キリスト教が禁じられ、司祭もいない中で、約250年にわたって信仰が受け継がれていたことが明らかになった「信徒発見」です。

聖堂内には、そのとき信徒たちが探し求めた「信徒発見のマリア像」があります。

外は猛烈な暑さでしたが、聖堂内は静かでした。

少し腰を下ろし、祈りながら休憩します。

朝からかなり歩いていたため、身体を休める意味もありました。しかし、長い禁教の時代を耐え抜き、姿を隠しながら信仰を守った人々を思うと、この静かな時間も見学の一部だったように感じます。

隣接するキリシタン博物館も見学しました。

日本にキリスト教が伝えられた一方、やがて禁教となり、多くの信徒が処刑、拷問、流刑などの迫害を受けた歴史が紹介されています。

それでも信仰は完全には消えず、各地の共同体で密かに受け継がれました。

国宝として残る大浦天主堂は、単に古い教会建築ではありません。

長く地下に潜っていた信仰が、再び世界とつながった場所でもありました。

大浦天主堂と博物館をゆっくり見学し終えても、時刻はまだ14時30分。

ここから再び市電に乗り、次は眼鏡橋へ向かいます。

 

🌉 眼鏡橋

大浦天主堂を見学したあとは、再び市電に乗って眼鏡橋へ向かいました。

眼鏡橋を訪れるのは、小学生のとき以来です。

中島川に架かる二連の石造アーチ橋で、水面に橋が映ると、二つの円が眼鏡のように見えます。

橋の上から眺めるだけでなく、川沿いの階段を下り、水面のすぐ近くまで行って写真を撮りました。

川面に近い場所から見上げると、石橋のアーチがよく分かります。

眼鏡橋の周囲には、ほかにも石橋が並び、川沿いを歩きながら長崎の町の風景を楽しむことができました。

ここまでで、出島、グラバー園、大浦天主堂、眼鏡橋と、予定していた長崎観光は一通り終了です。

しかし、眼鏡橋電停から市電に乗ろうとしたところで、路線図を見ながら別の考えが浮かびました。

このまま終点の蛍茶屋まで行くなら、もう少し足を延ばして、長崎市電を全線乗れるのではないか。

ここから旅は、予定外の方向へ走り始めます。

 

🚋 長崎市電を全線完乗

眼鏡橋から市電に乗り、まずは終点の蛍茶屋へ向かいました。

路線図を確認すると、空港へ戻るまでの時間で全線完乗は十分に可能です。

もともと市電を全線乗る予定はありませんでした。

こうして、普通の長崎観光だったはずの一日は、突然「市電全線完乗の旅」へ変わりました。

蛍茶屋に到着したあとは、今度は反対方向の終点、赤迫を目指します。

長崎市電は、観光名所を結ぶ乗り物であると同時に、市民の日常を支える交通機関です。

車内には観光で利用する乗客もいれば、普段の移動に使っている乗客もいます。短い停留場間隔で人が乗り降りし、細い市街地の中を電車が進んでいきます。

できるだけ前方から景色を眺めました。

道路上を自動車と一緒に走る区間もあれば、交差点で進行方向を変える場所もあります。線路は長崎の市街地に深く入り込み、商店街、駅前、住宅地を次々に結んでいました。

観光バスで名所だけを移動するのとは違い、町の構造や人の流れが見えてきます。

前方を見ていると、市電の運転士が非常に忙しいことにも気づきました。

信号と道路上の自動車に注意しながら電車を運転し、停留場へ正確に止める。

到着すると、乗客の乗り降りを確認し、扉を操作します。

車内の状況にも目を配り、必要に応じて案内を行い、安全を確認して再び発車する。

そして、すぐ次の停留場がやって来ます。

一般の鉄道と比べて停留場の間隔が短く、道路交通にも神経を使わなければなりません。運転だけに集中していればよい仕事ではなく、一人でいくつもの役割を同時にこなしています。

前から眺めていると、発車、加速、減速、停車、乗降確認の繰り返しに、ほとんど息をつく暇がありません。

路面電車はのんびり走っているように見えますが、運転席だけはまったくのんびりしていません。

赤迫へ向かう途中、市電は平和公園の近くを通ります。

長崎まで来た以上、平和公園や原爆落下中心地を訪れることも考えました。

ただ、この日は猛烈な暑さでした。

そして、平和公園を「長崎の観光名所を一つ回収する」という気持ちで立ち寄ることにも、少し違和感がありました。

今回は市電の車内から静かに手を合わせ、そのまま通過することにしました。

訪れなかったというより、別の形で向き合ったつもりです。

終点の赤迫に到着しました。

ここから市電を折り返し、次は反対側の終点、崇福寺へ向かいます。

赤迫から中心部へ戻るにつれ、車内の乗客が入れ替わり、窓の外の景色も住宅地から繁華街へ変わっていきます。

同じ市電でも、区間によって役割が異なります。

郊外から長崎駅前へ人を運び、中心市街地を通り、そのまま観光地や住宅地へつないでいく。路線図だけを見ていると分かりませんが、実際に端から端まで乗ると、市電が長崎の町を縫い合わせていることがよく分かりました。

そして、崇福寺に到着。

眼鏡橋から蛍茶屋へ、蛍茶屋から赤迫へ、さらに赤迫から崇福寺へ。この日それまでに乗った区間と合わせて、長崎市電の営業路線を一通り乗ることができました。

出島、グラバー園、大浦天主堂、眼鏡橋を巡る、普通の長崎観光になるはずでした。

それが気づけば、市電全線完乗です。

予定を詰め込んだわけではありません。

目の前の時間と路線図を見て、できそうだったから乗ってみた。

こういう予定外の展開こそ、日帰り旅行の面白いところです。

 

🍣 長崎空港で寿司と穴子の刺身

崇福寺まで乗り、長崎市電の全線完乗を達成しました。

そこから市電で新地中華街へ戻ると、空港行きのバスはわずか2分後。ほとんど待つことなく乗り継ぎ、18時ちょうどに長崎空港へ到着しました。

帰りのJAL616便は20時20分発です。

空港で寿司を食べることは、もともとこの日の予定に入れていました。搭乗まではまだ十分に時間があります。

向かったのは、空港内の「鮨どころ しょうぶ」です。

注文したのは、特選長崎にぎり、対馬産穴子の刺身、そして長崎で「アラカブ」と呼ばれるカサゴの煮付けです。

まずは、長崎産の魚のみを使用した「特選長崎にぎり」です。

長崎で「ひらす」と呼ばれるヒラマサや、水いか、炙りバッテラ、対馬穴子など、長崎らしいネタを集めた握りです。

この夕食で最も印象に残ったのが、対馬産穴子の刺身です。

穴子といえば、煮穴子や焼き穴子を思い浮かべます。刺身で食べるのは、私も初めてでした。

加熱した穴子のやわらかな食感とは違い、刺身にはしっかりとした歯応えがあります。噛むほどに、穴子そのものの繊細なうまみが広がりました。

穴子に、こんな食べ方があるとは知りませんでした。

今回の長崎旅行における、食の新しい発見です。

さらに、アラカブの煮付けもいただきました。

アラカブとは、長崎で使われるカサゴの呼び名です。淡泊な白身に甘辛い煮汁がよく合います。

長崎の魚を、握り、刺身、煮付けと、異なる調理法で楽しみました。

空港で寿司を食べること自体は、当初からの予定通りでした。

ただ、その食事が、予定外の市電全線完乗のお祝いまで兼ねることになるとは、朝の時点では思ってもいませんでした。

 

🛫 7月日帰り4回旅、長崎で完結

「鮨どころ しょうぶ」で夕食を終え、帰りのJAL616便に搭乗します。

座席は、往路と同じ普通席最前列の15K。帰りも隣の席は空いていました。

朝と同じ15Kに座り、長崎日帰り旅を締めくくります。

出島、江山楼、グラバー園、大浦天主堂、眼鏡橋。

予定していた長崎観光に、思いがけず市電全線完乗まで加わりました。

それでも、慌ただしく駆け回ったという感覚はありません。

暑い坂道はできるだけ避け、待ち時間も少なく、食事はゆっくり楽しむことができました。

私にとって「のんびりした旅」とは、何もしない旅ではありません。

好きな場所や食事を無理なく組み合わせ、時間に追われず、その場で面白そうなことを思いついたら、少し予定を変えられる旅です。

今回の長崎は、まさにそんな一日になりました。

20時20分、JAL616便は長崎空港を出発。

羽田空港へ戻り、松山、帯広、南紀白浜、長崎と続いた【7月日帰り4回旅】は、これにて完結です。

 

🎲 ……ところが、8月にも日帰り旅があります

これで夏の日帰り旅が終わると思いきや、なんと8月にも日帰り旅があります。

JALの「どこかにマイル」で提示された行き先は、

釧路、女満別、秋田、山形。

この4空港のどこかへ、近日中に飛びます。

次は、どこへ連れていかれるのでしょうか。

【8月日帰り旅】も、お楽しみに! ✈️

 

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